夜勤明けの早朝、ナースステーションの小さな鏡にふと目をやったら、思っていたよりずっと疲れた顔の自分が映っていました。「あら、こんな顔してたかしら」。そうつぶやいた瞬間、胸の奥で何かが静かに揺れたのを、今でもはっきり覚えています。
私は50代後半の看護師です。2025年、57歳だった年に、長く勤めた病棟を辞めました。そして今は、市立病院の地域医療連携室で、看護師枠の事務として働いています。今日は、あの「病棟を辞めた日」にどんなことを考えていたのか、同世代の看護師さんに向けて、少しだけ私の実体験をお話しさせてください。
夜勤明け、鏡の中の自分と目が合った朝
あの朝のことは、不思議と鮮明に残っています。夜勤を終えて、申し送りを済ませ、ロッカールームで白衣を脱いだときのことでした。腰も、ふくらはぎも、首のつけ根も、全身が鉛のように重たくて、「ああ、今日もよく頑張ったな」と自分に声をかけようとしたのに、出てきたのは「このペース、あと何年続けられるんだろう」という呟きでした。
若い頃の夜勤明けは、どこかに寄ってお茶を飲んで帰る余裕がありました。それが50代後半になると、夜勤明けの日はもう、家に帰って布団に倒れ込むだけ。翌日は一日中ぼんやりして、気がつけば次の勤務の前日、という繰り返しでした。体力の衰えを「年齢のせい」と片付けたくなくて、ずっと誤魔化してきたけれど、あの朝の鏡の中の自分を見たとき、もう誤魔化せないな、と素直に思ったのです。
「体力の限界」と「気持ちの限界」は、別々にやってきた
50代の看護師が辞めたくなる理由は、体力だけではありません。私の場合、「体力の限界」と「気持ちの限界」は、別々のタイミングでやってきました。
体力の限界は、日勤と夜勤を繰り返すなかで、じわじわと積み重なっていきました。ナースコールに小走りで向かうのが辛い、重い患者さんの体位変換で息が上がる、夜勤明けの帰り道、電車の中で立っていられない。そうした小さな「しんどい」が、気づけば毎日のことになっていました。
一方で気持ちの限界は、もっと突然でした。急変対応、ご家族への説明、若いスタッフの指導、委員会の資料作り。どれも大事な仕事だと分かっているのに、ある日ふっと、「私は、誰のために、何のために、こんなに走り続けているんだろう」と手が止まってしまう瞬間があったのです。その二つが重なってきたとき、ようやく私は「辞める」という選択肢を、自分の中で本気で考え始めました。
両親が年老いてくる現実と自分の時間
私には、同居している両親がいます。家事全般は私が担当していて、食事は数日分を作り置きして、両親自身で温めて食べてもらうスタイルにしています。休みの日には娘夫婦や息子夫婦の家に顔を出したり、我が家に泊まりに来たりと、にぎやかな時間も大切にしたい。
でも、夜勤を含む病棟勤務を続けていると、自分の体を休めるだけで一日が終わってしまい、両親の小さな変化に気づく余裕も、孫たちと過ごす時間も、削られていきました。「このままだと、一番大事にしたいものを、一番後回しにしてしまう」。そう気づいたとき、体力の衰えは、単なる老いではなくて、生き方を見直しなさいというサインなのかもしれない、と思うようになりました。
「このままでいいのか」と、何度も自問した夜
それでもすぐには辞められませんでした。長年一緒に働いてきた仲間への申し訳なさ、収入が下がることへの不安、「せっかく看護師の資格があるのに、もったいない」という、自分自身の中にある古い価値観。いろいろなものが、足を止めていました。
夜勤明けの布団の中で、何度も天井を見上げながら自問しました。「このままでいいのか」。「辞めた先に、本当に私にできる仕事があるのか」。「50代後半で動くのは、遅すぎるんじゃないか」。
そんな時期に、ふと思い出したのが、西国三十三所や四国八十八ヶ所を少しずつ巡ってきた日々のことでした。一歩ずつしか進めないけれど、続けていればいつの間にか遠くまで来ている。巡礼で学んだその感覚が、「大きな決断も、きっと一歩ずつでいい」と、背中を押してくれたように思います。
辞表を出した日の、不思議な静けさ
辞表を師長に渡した日のことも、忘れられません。渡す前の数日間は、心臓がドキドキして眠れないほどだったのに、いざ封筒を手渡した瞬間、胸の中が不思議なくらい静かになりました。師長は少し驚いた顔をしたあと、「〇〇さん、本当にお疲れさまでした」と、静かに受け取ってくれました。
泣くかと思っていたのに、その日は涙も出ませんでした。ただ、帰り道の夕焼けがやたらと綺麗に見えて、「ああ、私、ずっと空をちゃんと見上げていなかったな」と、そんなことを思ったのを覚えています。
辞めるという決断は、それまでの自分を否定することではなくて、これまで頑張ってきた自分に「ありがとう」と伝え直すことなのだと、あの夕焼けを見ながら、ゆっくりと腑に落ちていきました。
57歳からの“リスタート”は、ひとりじゃない
病棟を辞めたあと、私は2025年、大阪・関西万博のアテンダントに挑戦しました。57歳で、看護師以外の世界に飛び込むのは、正直に言うと怖さもありました。それでも「残りの人生で、一度くらい違う景色を見てみたい」という気持ちが勝ちました。
万博の仕事を終えたあと、2026年4月からは市立病院の地域医療連携室で、看護師資格を活かしつつ、体にやさしい働き方を選んでいます。病棟時代とは違うやりがいがあって、あのとき辞める決断をした自分に、今は静かに感謝しています。
もし今、「このままでいいのか」と夜に天井を見上げている同世代の看護師さんがいたら、どうかご自分の体と心の声を、一度だけでいいので聞いてあげてください。辞めることは逃げではなく、これからの人生を丁寧に選び直す作業です。50代後半からのリスタートは、決して遅くありません。私自身が、今まさにその真っただ中にいます。
次回は、「万博アテンダントってどんな仕事?57歳ナースがやってみたリアル」と題して、病棟を辞めたあとに飛び込んだ、ちょっと変わった世界の話をお届けする予定です。どうぞ楽しみにしていてくださいね。